谷根千・お散歩(2007/12〜) 特記なきはsony DSLR-A700 +V-sonnar16-80mm(RAW現像SILKYPIX) 画面を明るくしてご覧ください

東京の不忍通りは明治末期の道路整備事業による新道で、江戸時代では藍染川沿いの道があるのみでした。
不忍池に流れ込んでいた藍染川が大正9年に暗渠となってその上に作られた曲がりくねった道(へびの道)が現在も残っていて、西側が文京区、東側が台東区の区界になっています。

最近は谷根千(谷中/根津/千駄木)がスポットをあびているようですが、下町とはどこのことなのでしょう。
単純には低地帯であるか庶民ないし下級武士の住む地域、であって明確な区分はできないようです。

根津の地名由来は明快です。根津は津の根=入江(湊でもある)の源(最奥)であって弥生よりさらに遡るかもしれません。
江戸時代では根津神社に関する地名が初出とみえますが、江戸以前の根津神社は現在の団子坂上にありました。
千駄木は役に立たない木=駄木がたくさん生えていたことによるもの。江戸時代ではここより北は田畑となっています。
それでは谷中とは・・
谷中は低地ではありません、上野台の丘が南北に延びる上にあります。
上野山の東(JR山の手線の東側)は崖地を経て急激に低地となって隅田川に到ります(下谷=上野山の下の谷か)。
西側は藍染川の谷です。
すなわち、谷と谷の中にある丘であって、丘の文字が消えて「谷の中」のみが残ったものと考えられます。
地形的には「下町」ではないのですが、その地域に住む人々から下町とされるようになっていったものでしょう。

なお、山の手と称する場合は丘の上であって地形だけからの呼称。
したがって山の手と下町は本来は対応する言葉ではなく重なり合って、山の手にある下町もありえる、となります。
ま、それはおいて谷根千では藍染川が地形の最低部の谷の道、その道に沿ってのスナップです。
(ちょこまか撮影なので日付順ではなく地域でわけています)


根津神社参道から不忍通りを渡った道筋(藍染大通り)が藍染川の道と交差する付近。
このあたりは旧根津財閥の所有地で現在もその多くを関連会社が管理していて、道も整備されて直線です。


その交差点を北(上流)へ向かうと「へびの道」があります。

へびの道を出たところが団子坂からの道との交差点


言問通りとの交差点、ここより南へゆくと道がなくなり、その先は不忍池です


藍染川の道にぶつかる日暮里からの谷中銀座  PlanarT*85mm ISO400


谷中銀座入り口がある通称よみせ通り T*24-70mm登場、α700との組み合わせは優等生です。ISO200


藍染大通り α350登場、操作性はα700より劣りますが、写りでは質感が向上するとみえます(ただしISO400まで)。


アートな方々が住み始めた藍染の路地裏
α900登場、現行ズームでは役不足となる格段の画質向上です(このサイズに縮小だと差が見えにくいけれど)
フルサイズだとT*24-70は周辺での画像流れが気になるので、コシナDistagonT*35mmをワイド用に購入。
AEもAFもなし、ドジの割合が大幅に増えますが写りはグッド。撮影時の絞り情報が記録されないのが、ちょいと後でやっかいです。


たぶん続く・・